漫画『あさきゆめみし』の感想・無料試し読み

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『あさき夢みし』とは

「源氏物語」をベースとして作られた長編マンガで、ジャンルとしては歴史ドラマ・恋愛マンガである。作者は歴史マンガの巨匠として名高い大和和紀。講談社の少女マンガ誌「mimi」で連載後、3バージョンで出版された。まず、1980年より講談社コミックスミミの単行本全13巻がある。次いで、2001年に出た講談社漫画文庫が全7巻。2017年には雑誌掲載時のカラーページを再現した「源氏物語 あさきゆめみし 完全版 The Tale of Genji」全10巻も出版された。

『あさき夢みし』のあらすじ

第1部の物語は、光源氏の両親の恋から始まります。そして、光源氏の成長と社会的身分の栄枯盛衰が、たくさんの女性たちとの恋と絡めて描かれるのです。天皇の血を引く光源氏は美貌と教養や心映えによって多くの女性をとりこにしますが、その心はなかなか満たされません。幼い頃に母を亡くし、初恋の女性とも引き裂かれたことから、生涯を通して埋まらない喪失感に苦しんで恋愛遍歴を重ねるのです。第2部『宇治十帖」では、光源氏の孫である薫の君とそのライバル匂の宮が1人の女性を巡って繰り広げる恋物語が描かれます。

『あさき夢みし』の魅力

日本が誇る古典文学作品「源氏物語」に気軽に親しめるのが、『あさきゆめみし』の魅力です。「源氏物語」は世界最古の長編小説としても知られ、外国からも高く評価されています。日本人として知っておきたい教養の1つともされており、大学受験でも頻繁に出題される題材のため、「源氏物語」を簡単に理解したいと願う人も多いのではないでしょうか。原作は54帖という長さに加えて、難解な古文で書かれているため、原作を読破できる人は決して多くありません。多くの文学者によって現代語訳もされていますが、文章だけでイメージを描くのも少々、困難です。

しかし、大和和紀の美しい絵に、円地文子や田辺聖子による現代語訳を下敷きとする美しい文章が結びついたことによって、ハードルが大きく下がりました。中学生から高齢者までが、気楽に「源氏物語」のエッセンスを味わえるようになったのです。まずは、見慣れない歴史用語などは読み飛ばして、色とりどりの恋物語や人生ドラマを楽しんでみてください。そうすれば、時代背景や古語などにも興味が湧いてきて、勉強もはかどることでしょう。

『あさき夢みし』の印象的なエピソード

1巻・其の一:光源氏を生んだ雅やかな恋愛

『あさきゆめみし』は、光源氏の両親である桐壺帝と桐壺の更衣の恋から始まります。帝の寵愛(ちょうあい)を巡ってしのぎを削る女たちの争いに可れんな少女を巻き込むまいと考えて、桐壺帝は最初、身分を明かしません。出会ったときには、こう言います。『……あなたが天女なら……わたしは月読(月の精)だ……月に顔を見られて、なんの恥じることがありましょう』(※1)。しかし、嫉妬した皇妃・弘徽殿の女御に嫌がらせを受けたため、桐壺の更衣は恋人が天皇であることに気付いてしまいました。思い悩む桐壺の更衣に、帝はこう言います。『……かくしていてすまなかった……』『あかさぬほうが、あなたのためだと思っていたのだ。だが、それもかなわぬ現し身のわたしだ……』(※1)。そして、桐壺の更衣も帝の思いに応えて、女たちの争いに身を投じる覚悟をしたのでした。

このエピソードでは、文語の香りを残した現代語のセリフがとても美しいことが印象的でした。しかし、日常生活で耳にする機会がまずない言葉遣いのため、文章だけを読んだとしてもイメージを描くのは容易ではないでしょう。それを可能にしたのは、やはり、大和和紀の描くキャラクターの現代的な表現だと思います。

このエピソードの直後、嫉妬してなじる弘徽殿の女御に桐壺帝が言ったセリフも、恋愛感情の移り変わりの本質をついた内容で、考えさせられました。失恋をして相手を思いきれずに悩んでいる人は、このセリフで救われるかもしれません。『……あなたがわたしを思うあまりにすることを、あわれとこそ思え……もはや、いとしいと思うことはできないのだ』(※1)。

8巻・第十部其の三十九:夕霧と雲居の雁の夫婦げんか

近頃の夕霧は、柏木の未亡人である二の宮(落ち葉の宮)を口説き落とそうとやっきになっています。一方、夕霧の正妻・雲居の雁は夫の浮気に悩み、怒っていました。幼なじみの初恋相手であり父親の反対を押し切って結婚した夕霧は堅実な人物であり、世間によくある夫婦のトラブルとは無縁であった結婚生活。たくさんの子どもにも恵まれています。それだけに、嫉妬だけでなくプライドを傷つけられたと感じて、怒りをあらわにするのです。ふて寝している雲居の雁のところへご機嫌を取りにやってきた夕霧。このシーンの会話がユーモラスで、「夫婦っていいものだなあ」と感じました。

『帰るところをおまちがえですわ。わたくしはもう死にました!いつも、鬼、鬼、とおっしゃるから、いっそ死んで鬼になろうと思いまして』(※2)と言う雲居の雁。妻のけんまくと思いの吐露に胸を打たれた夕霧は、つい、笑ってしまって、こう答えます。『……お心は鬼よりこわいけれど、お顔はかわいらしいので見捨てられませんね』(※2)。若い恋人同士なら軽薄にしか聞こえないセリフかもしれません。しかし、何人もの子を成した古女房に対して夫が言う言葉として聞けば、2人の積み重ねてきた情愛や親愛が強く感じられます。しかし、雲居の雁としては、夫が自分を尊敬せず馬鹿にしていると感じて、さらに腹を立てるのです。

『もう、どこへなりと行ってしまおうと思います。そうなっても、わたくしのことをあれこれ思い出さないでくださいませね』。『ああ!おめおめと長いこと、あなたと連れそってきたことさえくやしいわ!』(※2)と言い募る雲居の雁。夕霧は妻の顔に手を添えて、こう言います。『いつもこんなに子どもっぽく怒ってばかりいられるので、この鬼はいまではもう、こわくなくなってしまった』(※2)。すると、雲居の雁はもっと怒ります。『もう……!つべこべいわずに、あなたなんてさっさと死ねばいいのよ!……わたくしも死ぬわ!見れば憎らしいし、声を聞けば気分が悪くなるし……!』(※2)。まるで、現代の夫婦げんかをしている妻の言葉です。

その次に雲居の雁がつぶやく言葉が、彼女の性格の魅力と妻の情愛を感じさせます。『……かといって……』『……残して死ぬのは気がかりだし……』(※2)。思わずクスリと笑ってしまう夕霧。妻を後ろから抱きしめて、『ひとりが死んだら、もうひとりもすぐにあとを追うと、いつぞや約束しましたっけね……』(※2)と言います。そして、初恋から結ばれるまでの2人の思い出を語り、2人のきずなの深さを強調します。『頼むから、もうすこしのあいだ、だまって見ていてくれないか。そうすれば、わたしたちの仲がすこしも変わっていないことがわかるよ』(※2)。

このときは夫婦げんかも一度はおさまりますが、だからといって、雲居の雁が完全に納得したわけではありません。二の宮のもとへ通い続ける夫にあてつけるように実家へ帰ってしまい、迎えにきた夕霧とまた激しい夫婦げんかをして、ついに別居を宣言してしまいます。

このエピソードでは、夫婦間の情愛やトラブルが平安時代から現代まで同質であることを身近に感じ、面白いと思いました。しかし、実際に雲居の雁ほど自己主張できる女性は当時、珍しかったのかもしれません。光源氏は紫の上と2人きりの会話でこの話題を出し、雲居の雁に同情しつつも、こう言いました。『北の方もおおぜいの子までなした仲なのだから、もうすこし、おだやかなやりかたがあったろうに』(※2)。それを聞いた紫の上は、口には出さないものの、こう思うのです。『……北の方は、ご自分に正直でいらっしゃるのだわ……』(※2)。そして、男を拒むにせよ怒りをぶつけるにせよ女が悪く言われてしまい、結局は男の思い通りになってしまうことを嘆きます。『ああ……この女の自由のないこの世から……わたしは早く去ってしまいたい……』(※2)。

10巻(最終巻)・第2部「宇治十帖」編・其の七~十一:2人の貴公子との恋に引き裂かれた浮舟※ネタバレ注意

このエピソードでは、光源氏の孫世代の恋と人生が描かれ、光源氏が生きているうちには到達できなかった新境地を提示してエンディングを迎えます。表向きは光源氏の息子とされながら、実は母の浮気によって生まれたという薫の大将は内省的な性格の貴公子。それに対し、薫をライバル視している匂の宮は、祖父である光源氏に憧れて理想の女性を追求する恋のハンターであり、気さくで情熱的な人柄です。2人は桐壺院の八の宮の娘に恋をします。匂の宮は姉妹の2番目である中の君と結婚できましたが、薫が思う大君は薫を受け入れることなく早世してしまいました。

姉妹にはもう1人、腹違いの妹である浮舟がいます。浮舟は八の宮が女官に産ませた娘のため姉たちとは別に、母や母の再婚相手、父親違いの弟妹たちと田舎で育ちました。浮舟には、大君や中の君のような育ちの良さや教養がありません。一方、母が再婚してできた家族の中でも自分だけが義父の子でないため浮いた存在で、どこにも居場所がないと感じて生きてきたのです。しかし、大君に顔がよく似ていることから、中の君は浮舟を呼び寄せて、薫に紹介しました。身分が違うと一度は辞退して他の結婚をしようとしたものの、その相手にも断られてしまった浮舟は、しかたなく中の君の家に身を寄せて、薫の迎えを待ちます。

そこへ訪れたのが、中の君の夫である匂の宮でした。見慣れない女房がいるので戯れに顔を見てやろうとし、浮舟の美しさに心を奪われてしまいます。浮舟の乳母がそばを離れないため結ばれることはできませんでした。しかし、御所からのお使いが匂の宮を呼びに来るまでは、浮舟は逃げることもできず、匂の宮に抱きしめられていたのです。浮舟は恩ある姉や薫に顔向けできないことが起きたと悩みますが、中の君は嫉妬せず、むしろ、内気な妹が恐ろしい思いをしただろうと同情して、優しく話しかけるのでした。中の君も浮舟に大君の面影を見て好もしく感じていたのです。

中の君は浮舟をそばに置くことを望んでいましたが、薫との良縁に支障があってはいけないと心配した母親によって、浮舟は荒れた仮住まいの家に移されました。それを聞いた薫は急いで浮舟を迎えに訪れ、このときに初めて浮舟と対面します。大君に似ていることに心を打たれて、薫は浮舟を大切に抱え、自分の用意した隠れ家へ連れて行きました。しかし、顔は似ていても教養がなく自信なげな浮舟に落胆します。とはいえ、『こんなふうに頼りないのが、かえって教えがいがあるのかもしれない』(※3)とも考え、責任を持って浮舟を世話していこうとします。

浮舟は薫に遠慮をしつつ、信頼感も強めます。しかし、匂の宮に無理やり抱きしめられたことを思い出さずにはいられません。『かぐわしい花びらに包まれるように、あのかたの腕の中にいた……あのかたの目に見つめられて……胸がふるえ息もできず……』『おそろしい……けれども、のぞきこまずにいられなかった……あの美しい夢のようなひととき……』(※3)。

また、匂の宮も浮舟を忘れられずに探し回り、ついに宇治の隠れ家にいることを突き止めました。自由な行動が制限される親王でありながら、身をやつして夜を駆け、浮舟に会いに行きます。そして、薫のふりをして女房たちをだまし、まんまと浮舟の寝所に入り込みました。驚く浮舟に、自分の気持ちがわかるかと尋ね、こう言います。『わからなくてもいい……わたしとあなたの恋は……今夜から始まるのだから……』(※3)。そして、思いを遂げた後は浮舟への愛着をいっそう強めて、薫に知られる前に浮舟をどこかに隠そうと考え始めました。

その後、政務で多忙だった薫が浮舟を訪れます。薫と対面した浮舟が自分の犯したあやまちを後悔して涙を流すと、女らしい情感が育ってきたと薫は喜び、早く京の新居を完成させて迎えに来ようと考えるのでした。薫が浮舟に愛情を感じていることを察知した匂の宮は思い余って浮舟を川向うの家に拉致し、禁断の恋人たちはしばし、愛欲に溺れる日々を過ごしました。

薫の与えた家に戻った後の浮舟の心には薫への思いや姉に申し訳ないと思う気持ちも浮かびます。『お二人ともにすばらしい……お二人ともにわたくしを愛してくださる……そして、わたくしもお二人を、ともにお慕いしていて……どちらかを選び、どちらかを捨てることなどできない』。『そんなことをするくらいなら、わたくしひとりが消えてしまいたい……!……あの川に……身を投げて……』(※3)。そして、浮舟は辞世の句を残して川に入っていきました。

浮舟の死を知った人々はひどく悲しみます。特に薫は、自分がいつのまにか、大君の身代わりとしてではなく浮舟自身を愛していたことに気付いて、日が経つほどに恋しい気持ちが強くなりました。一方、匂の宮は浮舟を失った悲しみを癒そうとして、再び女漁りを始めます。

ところが、浮舟は生きていました。倒れているところを横川の僧都に保護された後、その妹である老尼・庵主の娘代わりとして大切に世話をされていたのです。しばらくは老女たちと静かな暮らしをしていましたが、庵主の亡くなった娘のむこが浮舟に求婚するようになりました。もう恋愛沙汰に巻き込まれたくないと思う浮舟は拒みたいと思いますが、庵主たちにも熱心に勧められて困惑します。そして、庵主の留守に横川の僧都が訪れた機会をとらえて、出家させてもらいました。

その後、浮舟が出家して生きていることを知った薫は、浮舟に会いにやってきます。薫は横川の僧都に頼み込み、浮舟の弟を使者として文を託しました。薫の書跡を見て浮舟は涙を流し、一度は薫のもとに戻ってやり直すことも考えます。しかし、『どんなに戻ろうとしても、いったん砕けてしまったものは、もう二度と同じにはならない。』(※3)と思い直すのです。『匂の宮様とのことは、わたしたちの心の中から消そうとしても消えない……』『それならば、おたがいは、おたがいの美しい思い出でいたほうがいい…』(※3)。

浮舟から人違いだという返事を受けた薫は、嘆いて歌を詠みます。『法の師とたづぬる道をしるべにて おもはぬ山に踏みまどふかな(仏の道を求めてきたわたしが思いもかけず人を恋うる山に踏みまようことだ)』(※3)。一方、浮舟はこのような思いを抱いています。『……そう、いつかきっと……わたしくしは薫の君さまと逢うだろう……』『いつか……男と女の垣根をこえた、御仏の御弟子として』(※3)。さらに、こう思うのです。『わたしはもう、嘆いたり恐れたりはしない……わたくしにはわかっている。いまは濃い川霧に包まれているこの流れが、やがては晴れやかな空の下に出るように』『川は流れ……走り……』『そして、わたくしもまた、すべての川の行きつく先にたどりつけるだろう』『走り去る流れが、いつか光に満ちた大海に注ぐごとくに……』(※3)。

恋愛や生き方に悩むのは人の常ですが、そういった煩悩を捨てることによって苦しみから解放される可能性があることを示す、壮大なエンディングとなりました。仏教に由来する諸行無常や「もののあわれ」を尊いとする感覚など、当時の価値観が反映された結果、このような結末になったのかもしれません。しかし、現代に生きる私たちにも、1つの指針を示してくれる内容ともいえるのではないでしょうか。

登場人物

光源氏

高貴な血筋に美貌と教養、出世と富など、人がうらやむものをすべて持って生まれた男性。若い頃から中年に至るまで数多くの女性と浮き名を流すが、それぞれの恋に心を痛めつつ、満たされない思いを抱いて生きている。帝の第二皇子だが、後ろ盾がないため臣籍に下って源氏の名を与えられた。

桐壺帝

光源氏の父帝。有力な後ろ盾を持たずに入内した桐壺の更衣を見初め、周囲が眉をひそめるほど深く寵愛(ちょうあい)する。桐壺の更衣が亡くなった後は忘れ形見の光源氏を愛育し、『なまじうしろだてもないままに親王とするよりも、臣のままにいたほうがのびやかに生きられよう』と決断した。桐壺の更衣に似た藤壺の宮を妃と迎え、寵愛(ちょうあい)する。

桐壺の更衣

光源氏の生母。高貴な血筋だが父を亡くした後は没落し、後ろ盾がないまま入内した。闇夜に出会った名も知らぬ公達と恋に落ちるが、彼は身分を隠した桐壺帝だったのだ。帝の正妃や他の女性たちから嫉妬や嫌がらせを受けながらも、帝との恋を貫く決意をして光源氏を産む。後に、嵐の夜に女性たちから外廊下に閉め出されて病気になり、幼い源氏の身の上を案じながら早世した。

藤壺の宮

光源氏の父帝が後に妃とした女性で、光源氏の母によく似ている。幼い頃の光源氏は彼女に母の姿を求めてなついていたが、成長するにつれてその思いは禁断の恋に変わってしまう。藤壺の宮も光源氏の求愛を拒み切れず、不義の子を産むことになる。

紫の上

藤壺の宮の姪にあたり、面差しが藤壺の宮とよく似ている。幼い頃に光源氏に引き取られて養育され、後に妻となった。

頭の中将

左大臣の長男。光源氏とは若い頃からの親友であり、学問や政治、風流ごとや恋愛におけるライバルでもあった。

葵の上

光源氏の正妻で頭中将の妹。プライドが高いため光源氏となかなか打ち解けた夫婦になれずにいたが、出産をきっかけに光源氏との愛に目覚める。しかし、六条の御息所の生霊によって殺されてしまう。

六条の御息所

光源氏より8歳年上の愛人。前の春宮の未亡人であり、高い身分と深い教養を持つ貴婦人として光源氏の憧れの対象だった。しかし、光源氏の気持ちが冷めていくのと反比例して恋に溺れてしまい、光源氏の恋人・夕顔や正妻・葵の上に嫉妬して生霊となってしまう。

明石の上

光源氏が愛した女性の1人。受領階級の出身だが、父親が住吉の神のお告げにより高貴な人の妻となれるように教育を施したため、教養が深く上品な女性に成長した。須磨に流されていた光源氏と結ばれ、後に上京する。源氏との間に生まれた姫の養育を紫の上にゆだね、自分は身を引く。

明石の中宮

光源氏と明石の上の娘。紫の上に託されて貴婦人としての教育を受けた後に女御として入内し、帝の皇子を産んだ。

夕霧

光源氏と葵の上の間に生まれた長男。幼なじみの雲居の雁と長年の思いを遂げて結婚した。堅実な性格だったが、年を重ねると浮気心を起こし、雲居の雁を怒らせる。

雲居の雁

致仕の大臣(頭の中将)の娘で、光源氏の長男である夕霧とは幼なじみ。父親に反対されながらも初恋を貫き通して夕霧と結婚するが、結婚後は口うるさい妻となり、夕霧の浮気に悩まされる。

女三の宮

朱雀帝の第三皇女として生まれ、光源氏の正妻となるも、柏木の求愛を拒み切れずに身籠って不義の子を産んだ。

柏木

致仕の大臣の長男。妻がいる身であるにもかかわらず女三の宮に懸想して熱心に求愛し、光源氏の留守中に密通した。薫の本当の父親。

薫の君

女三の宮と柏木の不義によって生まれた子だが、表向きは光源氏の子とされていた。大君に恋をしたがかなわず、その後、大君の妹である浮舟を妻にする。

匂の宮

光源氏の娘である明石の中宮と帝の間に生まれた皇子。源氏に憧れており、理想の女性を追求している。何かにつけて薫と張り合っていた。中の君という妻がいながら浮舟に恋をし、情熱的に求める。

浮舟

薫が思いを寄せていた大君の腹違いの妹。大君の死後、中の君の紹介によって薫に縁づくが、中の君の夫である匂の宮にも見初められて激しく求愛され、2人の貴公子の間で揺れ動く。幼い頃から身の置き所がないと感じて育ったため優柔不断だが、恋に悩み苦しむうちに女性としても人間としても成長していく。

用語

入内

後宮に所属していた女性が天皇の御所に入る(天皇に嫁ぐ)ことを指す言葉。特に、皇后・中宮として嫁ぐことを意味する場合もある。

更衣

平安時代の後宮に勤める女官の身分の一つで、女御の次の位である。もともとは天皇がお召替えをするための設備を意味する言葉だったが、のちに天皇のそばに仕える女官を指すようになった。天皇の愛人として寝所にはべることもある。更衣の出身は近衛次将や受領といった中流貴族から公卿など上流貴族までに及ぶ。光源氏の母・桐壺の更衣は、家柄は高いものの父を亡くしたことによって強い後ろ盾を持たなかったため、女御ではなく更衣として入内しなければならなかったのだ。

女御

平安時代に後宮に勤める女官の身分の一つで、中宮の次の位。天皇の寝所にはべる女性の呼称である。天皇の姻戚となって権力を得ようとする貴族たちが、皇后・中宮にすることを目標に掲げて自分の娘や縁者を女御の身分で入内させるケースが多い。

中宮

律令制の定義では天皇の祖母(太皇太后宮)・天皇の母(皇太后)・皇后の三宮を中宮といっていたが、平安時代以降は皇后・皇后の同等に扱われる後宮の女性をさした。天皇に皇后格の妃が2人いる場合、皇后と中宮が並立することもある。

中将

律令制における官位の1つで、近衛府の次官。少将より上位にあり、少将と同様に次将または介と呼ばれることもある。従四位下に相当する官位だが、三位で中将に任命されたケースも多い。また、蔵人頭を兼ねる者は、頭の中将と呼ばれる。

大将

律令制における官位の1つで、近衛府の長官。左大将と右大将が1人ずつ任命された。薫の君は「薫の大将」とも呼ばれる。

太政大臣

律令官制における最高の官位で「だいじょうだいじん」と読む。左大臣と右大臣の上位で、太政官の長官である。天安1年 (857年)に藤原良房が太政大臣に任命されて以来は、藤原氏や源氏が任命されるのが慣例となっていた。一位に相当する官位であり、臣籍としては最も名誉あるステイタスだ。それだけでなく、封戸や職田、年給などの俸ろくにおいても最高の待遇がなされたため、莫大(ばくだい)な富を手にすることができた。晩年の光源氏は太政大臣に任命されている。

左大臣

律令制における官位の1つである。太政大臣の下位、右大臣の上位というポジションであり、右大臣とともに太政官の政務を統括する役割を担っていた。「左丞相」「左府」「ひだりのおおいもうちぎみ」とも呼ばれる。ちなみに、光源氏のモデルといわれているのは左大臣であった藤原道長で、紫式部が仕えた皇后彰子の父。

右大臣

律令制における官位の1つで、太政大臣・左大臣の次位。左大臣と同様に太政官の政務や宮中の儀式を総裁する役職であった。正従二位相当官。『あさきゆめみし』や原作の「源氏物語」においては、左大臣と権力争いをするライバルとして描かれている。

非常に良く似た歴史上のエピソードも有名。「源氏物語」作者・紫式部の時代、一条帝の皇后は紫式部が仕えた彰子だったが、同時に中宮として遇されていたのが清少納言の主である中宮・定子だった。彰子と定子はそれぞれの一族の権力争いを象徴する存在だったのである。それが紫式部によって書かれた「源氏物語」にも反映されているといわれているのだ。

北の方

公卿や大名など身分の高い男性の妻に対する敬称で、「北の台」「北の御方」ともいう。平安時代の皇族・貴族が住んだ住居の建築様式である寝殿造りにおいて、主人の正妻が北の対に住む習わしがあったことから生まれた言葉である。

出家

世俗生活を捨てて仏門に入ることを指す。「源氏物語」などの日本の中世文学や、それをベースとした『あさきゆめみし』においては、貴族の男女が高僧によって髪を落とし得度の儀式を行って、隠とん生活に入ることを意味している。男性の場合、権力の座を他の者に譲った者や権力争いから逃れたい者が出家することが多い。女性の場合は父や夫など後ろ盾となる男性を失った者、または、男性の求愛から逃れたい者が出家するケースが主である。たとえば、『あさきゆめみし』第2部「宇治十帖」では、恋の煩悩から解放されることを願った浮舟が出家した。

ただし、当時の日本における制度では寺院と僧侶にも国家や貴族社会の干渉が及んでおり、出家した者も俗世間のトラブルと完全に無縁というわけにはいかなかったのだ。また、出家者を還俗させる例も珍しくなかった。であるから、出家とは「世の煩わしいことから逃れたい」という意思表示のスタイルとして強い印象を与えるものだったとはいえ、絶対的なものではなかったのだ。